ブログを書くことを習慣化したい

これからブログを書くことを習慣化していきたい。時間は21:30~10:00が目安。本を読んだりしてその日勉強したことをまとめる。頭の中で考えていても前に進んでいる感じがないから。書くにあたり、そこまで肩肘は張らない。立派な文章を書こうと思うと習慣化するハードルが高くなるから。おいおい良い文章を書けるようになりたい。Twitterで本を紹介している方のアカウントがあり、よく見ている。その方が書くnoteのコラムは文章が非常に美しい。目標としていきたい。

仕事をする中でこの人はすごいなぁと思う人が何人かいた。共通しているのは直接的なことは言わないことだ。「やる気を出せ」と言っているわけではないのに、なぜか周囲をモチベートさせることができる。勝手に影響を受けているだけかもしれないが。心からすごいと思う。しかしそれを目指しても自分が到達できないだろうことは分かる。わかるというかなんとなく自分には無理だろうなと思う。明るくなれないのと同じだ。自分も冗談を言って場を和ませたり、そういうことはできないだろうと思う。

最近は「知的トレーニングの技術」という本を読んでいる。これは良書だと思う。まだ初めの方で、知的なトレーニングをしている感じは正直しないが、繰り返し読める本を探していたのでちょうどよかった。「思考の整理学」という本を繰り返し読もうかと思っていたが、あれは内容があるようでないというか、研究者には良いのかもしれないのだが、仕事などに適用しようとするとうまく適応できなかった。

「知的トレーニングの技術」では、モチベーションを上げるために伝記を読め、と書いてあった。ある意味なるほどなと。また、精神的に調子が悪い時は、数学やアカデミックの本を読むと良い、とも。小説の細かな表現に悩まされなくてよいと。確かに。夜は重力の勉強を真面目にしてみるのもありか。それか三体などのハードSFを読んでみるのはどうか。よさそうである。伝記はゴールデンカムイのおかげで新選組関係を読んでみたいと思っている。

何か夢中になれることはないか、やりたいことはないかずっと考えていた。本を徹底的に読んでみては? いい考えだと思う。これを書いているのもその一環だ。本を読むのは勉強しなければならないと思うから。成長しなければならないと思うから。それだけだろうか? 好奇心? 何かを満たしたいのだ。ただやはり寝る前に目的もなくYoutubeの動画をあさるのはそろそろ違うのではないかと思うのだ。

「嫌われる勇気」を読んでアドラー心理学に傾倒し、「今」に焦点を当てようとした。過去はなかったものとして、今の自分なら頑張ればきっといろいろなことができるはずだと。それが多くの過ちを生んだ気がした。それで過去を振り返った。自分のルーツを幼少期の記憶や子供の頃の環境に探した。とりかかろうとして、なかなか普通の精神状態では続けれらなさそうだったからいったん中断しているが、てごたえはあった。続けようとするとこれは大変なことだ。それに結局、周りのせいにしているだけではないのか? そう思うと正しいことをやろうとしているのか分からなくなる。正しいことも間違っていることもない。良い悪いも決定されることはない。

ただこう言うことも先人が考えて答えを出してきたのならやはり本を読む意味はあるだろうと思う。どこかに書いてあるだろう正解を探すのは途方もない。仮の答えを持っておくべきか。しかしこの仮の答えをきちんと修正していくことができるだろうか。決めてしまった後に仮とはいえ、修正できる自信がない。
30分ほど書いたので今日は終わり。書ききれていないことのワードを残す。責任について。